東洋医学用語、漢方用語解説

ま〜も行

ここでは特殊で難解な東洋医学用語、漢方用語並びに現代漢方医学
の基礎を作られ、漢方医学の発展に粉骨砕身の働きをしていただいた
先駆者の名前、功績、書物を判りやすく解説しております。
多少、解説の意味合いが違う場合があるかもしれませんが
ご了承お願いします。

なおご質問、ご相談等がございましたら、ご面倒ですがやなぎ堂薬局
宛てにこちらから⇒ご質問、ご相談を宜しくお願いします。
名称 解説
ま行
曲直瀬玄朔
(まなせげんさく)
曲直瀬玄朔(1549年生まれ〜1631年没)
曲直瀬玄朔は田代三喜から李朱医学を学んだ曲直瀬道三の妹の子供で
曲直瀬玄朔が35歳の時に曲直瀬道三の養子になり、二代目曲直瀬道三と
呼ばれるようになります。

曲直瀬玄朔や玄朔の養父の曲直瀬道三はその時代の権力者の侍医として有名で
玄朔も織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀次、正親町天皇、後陽成天皇、徳川家康、
徳川秀忠、加藤清正、毛利輝元など天皇、大名や一般市民の病気を治療し、
曲直瀬道三、曲直瀬玄朔親子の活躍によって日本における金元医学
(特に李朱医学)が確立し、後に後世派と呼ばれる漢方流派が生まれました。

参考・・・玄朔が書いた書物は「延寿撮要」、「十五指南篇、「医学天正記」があり、
      その中でも「医学天正記」が有名でこれには織田信長、豊臣秀吉、
      豊臣秀次、正親町天皇、後陽成天皇、徳川家康、徳川秀忠、加藤清正、
      毛利輝元など天皇、大名や一般市民の実名、性別、病状などが細かく
      書かれており、現代風に言えば日本最初 のカルテと言えます。

余談・・・玄朔は豊臣秀次の喘息を治療し、その功績で秀次の侍医になったが
      後陽成天皇が病の時に秀次の自宅に在宅しており、本来なら天皇を
     一番最初に治療しなければいけないのに、天皇の診察(診脈)を怠り、
     秀次を最初に治療した事が原因で秀次が失脚、自害しました。
     (天脈拝診怠業事件)
      秀次切腹の事件に連座し玄朔が秀次側にいた理由で陸奥の国に
      流されました。
      その時代の天皇の後陽成天皇が病に倒れられ、名医達が治療を
      行ったが治療効果がなく、ついに玄朔の罪を免じて京へ招き、玄朔
      が調合した薬で治癒しました。

      玄朔は八十三歳で没しましたが、彼の養父の道三も八十八歳で
      没しており、室町後期から江戸初期の平均寿命は40歳〜50歳と
      いわれる時代に大変長生きをした親子と言えます。
曲直瀬道三
(まなせどうさん)
曲直瀬道三(1507年生まれ〜1594年没)
曲直瀬道三は日本漢方の開祖、日本漢方中興の祖と呼ばれています。
道三は京都で生まれ、幼い頃から京都で修行僧として過ごしていましたが遊学の
ため関東に行き、そこで漢方医学の恩師である田代三喜と出会い、三喜に感銘し
道三は田代三喜の弟子になります。

道三は三喜が中国で学んだ李朱医学を学び、修行僧から医師に転進します。
道三が活躍した当時(室町時代後期)で道三は画期的な医師として名声が
広まりました。(当時の医学は祈祷、祈願などの宗教的要素が主役の時代に
道三は李朱医学と自らの臨床経験を取り混ぜて治療を行いました。)

曲直瀬道三や玄朔の養子の曲直瀬玄朔はその時代の権力者の侍医として
有名で道三も天皇や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、毛利元就など大名や
一般市民の病気を治療し、曲直瀬道三、曲直瀬玄朔親子の活躍によって
日本における金元医学(特に李朱医学)が確立し、後に後世派と呼ばれる
漢方流派が生まれました。

余談・・・毛利元就は70歳の高齢で、脳卒中が原因の半身麻痺の症状で
苦しんでいましたが、道三が行った治療の灸で歩行が出来るようになりました。

又彼は門人の育成のために啓迪院と呼ばれる医学校を開き数多くの門人を
輩出しました。(道三が開いた啓廸院には800人(一説には3,000人)の門弟が
集まったと言われます。)

彼の著作物に有名な医学書「啓迪集」があり、これは道三の治療経験と古今
の医学書を簡素に記載した書物で、現代でも非常に役立つ資料と言えます。
他に「養生誹諧」、「切紙」、「黄素妙論」などがあります。

余談・・・道三は八十八歳で没しましたが彼の養子の玄朔も八十三歳で没して
      おり、室町後期から江戸初期の平均寿命は40歳〜50歳といわれる
      時代に大変長生きをした親子と言えます。
麻木
(まぼく)
麻木は麻痺をこう言いますが麻痺でも運動麻痺、しびれを伴う運動麻痺を指す
場合が多いです。
万病回春
(まんびょうかいしゅん)
万病回春は明代の医師キョウ廷賢の著作物です。
万病回春はキョウ廷賢が活躍する前の時代の金元医学、特に金元四大家
の漢方理論の良い部分をまとめた書物です。

万病回春に記載されている有名な漢方処方は疎経活血湯、清上防風湯、
温清飲、五虎湯、加味温胆湯などがあります。

余談・・・万病回春は江戸時代初期にキョウ廷賢の弟子の戴曼公(たいまんこう)
      が日本に渡来し、万病回春を日本で最初に紹介して日本全土に広め、
      日本漢方流派の後世派に影響を与えました。
み行
未病
(みびょう)
未病は病気が発病する前や病気の初期状態を言います。
未病は体内の陰陽のバランスが崩れかけた時に診られます。

参考・・・未病のまま放置したり、治療を怠ると既病になります。
      東洋医学では理想的な身体状態を中庸と言います。

余談・・・既病の用語が初めて見られたのは黄帝内経
     「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」 と記載されています。
脉(脈)
(みゃく)
(脈)には2種類の意味があります。

@ 脉(脈)は血管を意味します。

A 脉(脈)は心拍動を意味し、傷寒論では心拍動の違う脉(脈)を23種類程
挙げています。
例・・・浮脈沈脈緩脈緊脈数脈疾脈遅脈洪脈大脈小脈
    細脈微脈弱脈促脈弦脈実脈虚脈滑脈
    渋脈しょく(※)脈)、こう(※)脈結代長脈短脈停脈など。
((※)しょく=さんずい+嗇)
((※)こう=くさかんむり+孔)
脈滑疾
(みゃくかっしつ)
脈滑疾滑脈より脈拍が速い脈を言います。

参考・・・脈滑疾は滑疾脈とも呼ばれます。
脉診(脈診)
(みゃくしん)
脉診(脈診)切診の一つで、現在の医師が行っているように患者の手首に
医師が手を当てて脈をとり、脈の状態により病証、病名、体調などを考慮して
処方を決める方法です。

脈診をとる方法として医師が橈骨(とうこつ)にある寸口脈に人差し指(寸口)、
中指(関上)、薬指(尺中)を当てて脈診を確認します。

脈の種類は数多くあり、脈同士が組み組み合わさって診られる場合もあります
ので今回は基本的な脈を書いておきます。

浮脈沈脈数脈遅脈大脈細脈緊脈緩脈滑脈渋脈弦脈
微脈などがあります。
め行
瞑眩
(めんげん)
瞑眩は漢方薬の服用で一時的に症状が悪化する事を言います。
瞑眩は患者が今服用している漢方薬が本当は合っているが、病邪の最後の抵抗で、
症状が悪化しているように診られる症状で瞑眩は慢性病期によく診られます。
瞑眩の症状は人によりけりで、嘔吐、頭痛、下痢、眩暈、皮膚病の悪化、喘息症状
の悪化など人によって異なります。
も行
もがさ もがさは天然痘の昔の呼び名です。
参考・・・もがさは別名で「痘瘡」、「疱瘡」、「いもがさ」とも言われます。

余談・・・奈良時代の貴族である藤原不比等の4人の息子(藤原四兄弟)はもがさ
が原因で病死しています。他にNHKの大河ドラマ「独眼竜正宗」で有名な伊達
政宗も幼い頃にもがさを発症し右目を失明しています。
目眩
(もくげん)
目眩はめまいと同じ意味です。
目眩の症状は眩暈の症状とよく似ており、目がクルクル回る、頭がぼんやり
する、立ちくらみなどが目眩の症状に診られます。

参考・・・目眩は別名で眩量(げんうん)、暴眩とも言います。
森道伯
(もりどうはく)
問診
(もんしん)
問診は患者の健康状態(発熱、熱感、悪寒悪風、火照り、冷え、発汗、
口乾口渇、頭痛、嘔吐、咳嗽、心悸亢進、眩暈、動悸、耳鳴り、肩こり、
くしゃみ、鼻水、腹痛、腰痛、関節痛、胸痛などの有無、、月経、出血、食欲、
便通、大便の有無、大便の量と状態、小便の量と状態、小便の回数、睡眠)
などの患者が訴えている事を見極め、治療方針を決まることを言います。

参考・・・問診の他に望診聞診切診と呼ばれる診察があり、これらを総じて
四診と言われます。
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